
能登に誇りを、故郷に帰れる生業を。クリエイティブデザイナー“辻野 実”が描く未来
株式会社SCARAMANGA(スカラマンガ)
更新日:2025年9月26日
能登町に帰省できない
能登町でデザインの仕事をしている辻野 実(つじの・みのる)です。能登町は一見するとそんなに被害があるように見えないかもしれないけれど、路地に入ると更地や取り壊し予定の家がたくさんあります。高齢化が進んでいる地域なので、もし地震で家が倒壊してしまったら、もう一度家を建てる選択をするのは難しい人が多いと思います。
また、建ぺい率(敷地面積に対する建築面積の割合)の問題で、建てられる場所や面積が道路から何m、横幅何mと言った規制もあって、建て直すのも難しいです。
そうすると、たとえば能登町の実家が被災して住めなくなってしまったら、能登町を出ている子どもたちは帰省できません。泊まるにしても宿泊するところが被災しているので泊まれない。祭りの日に、家族で帰省したいけれど、滞在できる場所がない。これでは帰りたくても帰れないのです。
僕は能登町に帰省してきた人が、格安で気軽に泊まれる場所を作るのが復興の一つだと思うんです。これには関わる人をまだまだ増やさないといけないので今後取り組んでいきたいことの一つです。
Webサイトのデザインやパッケージデザインなどを広く手がけている辻野さん
自分のアイデンティティがなくなってしまう
僕は高校を卒業して、大学進学のために大阪に出ました。就職活動のときに親に就職する場所について相談したら「能登には仕事がないから、帰ってこなくていい」と言われました。僕も能登に帰ることは頭にありませんでした。
でも2007年に能登半島で大きな地震があったときに、実家のことが気になり大阪から石川県内に戻り、金沢市内の会社に再就職して、ときどき能登町の実家に帰っていました。その後、Webデザイナーとして独立をしました。
あるとき、将来消滅する可能性がある自治体と予想されているリストの中に能登町が入っているのを見て、なんだかむかついたんです。じつは、僕の通っていた保育園、小学校、中学校、高校、全部廃校でなくなっているんです。その上、故郷の町までなくなったら、自分のアイデンティティを全部失ってしまう気がして、腹が立ってきました。
そこで、何か能登町を外に向かって発信できないかと思い始めたのです。僕は田舎が嫌で嫌で町をでたから、能登町に「誇り」を持っていませんでした。でも、もしかしたら、「誇り」を持てたら過疎は解決するのではないか。「誇り」を持てたら故郷に帰ってくる人も増えるのではないかと。そういう仮説を立てたのです。
故郷に「誇り」を持てるようになるために
その仮説を証明するため、プライベートな活動として、「NOTONOWILD(能登のワイルド)」というメディアを2016年に立ち上げました。故郷の「誇り」といえば「祭り」です。祭りをただ紹介するのではなく、ミュージックビデオのようにかっこいいデザインとロゴを入れて、ヒップホップの音楽に載せて映像や写真で発信したんです。そうすると、「面白い」「かっこいい」と反応がありました。「NOTONOWILD」のメディアは立ち上げて来年で10年です。田舎町=ダサいではなくて、能登町は面白い、かっこいいと見てくれる人が増えたと思います。
「NOTONOWILD(能登のワイルド)」
そしてもうひとつ、僕は2019年の終わりに、金沢から能登町に帰ってきたのですが、コロナ禍で能登町の喫茶店が軒並み閉店してしまっていたんです。そこで町の人が少しでも会話ができるような場所を作りたいと思い、2022年に、「DOYA COFFEE(ドーヤコーヒー)」を作りました。
能登町の僕らの会話は「おはよう」からではなくて「どーやー?」から始まります。「DOYA COFFEE」はスタンド形式の店なのでコーヒーを頼むついでに、会話が生まれますよね。町の人たちの会話は町を彩ると思うんです。町の人たちの会話が増えれば一つのコミュニティを構築できるのではないかという思いを込めていました。
この「NOTONOWILD」と「DOYA COFFEE」の二つが震災時に力を発揮することになったんです。「NOTONOWILD」は能登に対して思いを持っている人たちがサポートしてくれていたので繋がりも深くて、その仲間たちがすぐに支援物資を持ってきてくれました。
「DOYA COFFEE」は地域のコミュニティを持っていたので、支援物資の配布拠点として機能したんです。作っておいて良かったと心から思いました。
「DOYA COFFEE」おしゃれなコーヒースタンドです
故郷に帰ってこれるための取り組み
先ほど、「消滅の可能性がある自治体」に能登町が入っていたのを目にしたと言いましたが、僕は消滅の危機がおとずれるのは数十年先だろうと思っていたんです。でも、2024年の震災で、数十年先の未来が一気にやってきたような感じがして、現実味を帯びてきました。そうならないための施策の一つとして、能登から出た人が故郷に帰ってこれるにはどうしたらいいのかを考えています。そのために動いていることがいくつかあります。
そのひとつが「みんなの家プロジェクト」です。これは NPO法人のHOME-FOR-ALLさんが東日本大震災をきっかけに始めた復興支援プロジェクトで、奥能登では日本財団の助成を受けて各地に9棟が開設される予定です。震災の被害が大きかった能登町の鵜川(うかわ)という港町に、誰でも気軽に集える「みんなの家」を建てる予定になっていて、それに関わっています。
子どもたちの遊び場や食堂、打ち合わせスペースなどを備えた、新たなコミュニティの拠点となることを目指します。
先日、ここで何をしたいか、この町をどうしたいかを話し合うワークショップをひらいたんです。小学生から70代までの人が60人ぐらい集まって盛り上がりました。みんなの家では飲食店を作るのでそこでの雇用が生まれますし、「仕事」を作る一つの取り組みにもなると考えています。
キリコのナカフク(障子を組み合わせたようなナカフクが照明になる)
おしゃれで雑貨屋さんのような雰囲気のデザイン事務所内
「能登みたい」と感じてほしい
たとえば美しい海を見たら「沖縄みたい」という人が多いです。僕は「能登みたい」と言ってもらいたいと思っているんです。能登は自然が豊かです。どの季節のどのタイミングでも楽しめます。
能登は2週間ごとに季節が移り変わると言われています。春はタラの芽、わらびと採れる山菜が変わり、漁でイワシが獲れ始めたら、それで保存食を作って、梅雨になって、祭りの季節になればその保存食を味わう、そうしたら次の祭りが始まって秋になったらきのこが採れる。そのうち定置網漁が始まって、雪が降る季節には寒ブリが食べられる。
季節の変化がグラデーションになって美しいし、美味しい食べ物もある。どの時期に来てもその時しかないものを味わえます。それを楽しみに能登に来てくれる人が増えたらいいなと思います。
能登町宇出津の港
そういえば、震災で金沢に避難していた僕の小学生6年生の息子に、「このまましばらく金沢にいて、ここの学校に通ってもいいよ」と言ったことがあったんです。でも息子は、「能登に戻りたい」と。嬉しかったです。
息子に「どうして能登に戻りたかったの?」と聞いたら「能登になんでもあるから」と。そうだ、「なんでもある」と思いました。
子どもが「なんでもある」と言うということは、この町にはポテンシャルがあるということだと確信したんです。この前、高校生に話をする機会があって「高校を卒業してこの町を出ても、また戻ってこようと思っている人はいる?」と聞いたら、半数以上が手を挙げたんです。
驚きました。僕が高校生のころだったら誰も手を挙げなかったでしょう。でも今はそういう戻ってきたい子どもたちが育っているのは素晴らしいことだと思います。
事業者プロフィール
取材後記
すごくかっこいいヒップホップなデザイナーさんが能登にいる! と岡山に帰ってきてから何人の友達に話したでしょうか。辻野さんから聞いた話はとても面白く、地方に住んでいる私にとって興味深い話もたくさんありました。 「NOTONOWILD」は本気でかっこいいので皆さんにぜひ見てほしいです。「DOYACOFFEE」は外観も店内も店長もおしゃれです。カフェオレが美味しくて一気飲みしてしまいました。 高校を卒業して能登町を出た辻野さんに、高校生のころの自分に今の自分が声をかけるとすればなんと言いますか? と聞くと「(能登の良さに)気付けよ!」だそうです。 能登町でのインタビューが終わり、次の予定は珠洲市への移動でした。辻野さんが、海がきれいに見えると思いますよと、教えてくれました。車で海沿いを走りました。海の色がきれいで穏やかでした。これが「能登みたい」な美しさだなと心に刻みました。
東岡英里子(ひがしおか・えりこ)
岡山県倉敷市在住です。偶然に「シロシル能登」を目にして、能登に行ってみたいと思いプロボノライターに応募しました。 https://x.com/higashisan0055


