能登町宇出津(うしつ)の中心部に店を構える“魚やラララ(うおやららら)”。店を仕切るのは、1912年創業の「したひら鮮魚店」の4代目・下平真澄(したひら・ますみ)さんと妻の扇(おおぎ)さんだ。2024年能登半島地震では、「魚屋なのに魚を届けられない」ことに悩んだふたり。水が使えないなかできることをとことん考え、移動販売車で地域を回り続けた。
一度は故郷を離れた真澄さんが戻ってきた理由。震災後に感じた魚屋としての使命。そして、子どもたちに残したい能登の風景とは──。若いご夫婦に話を聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
店名の「魚やラララ」に込めた思い

下平真澄さん(以下、真澄):
僕も妻も、したひら鮮魚店で商売をしているときに、若いお客さまがなかなか来ないなぁと感じていました。したひら鮮魚店は1912年から続いている魚屋なんですが、歴史がある分、建物や雰囲気も含めて若い人にとっては入りづらさがあったのかもしれません。
もちろんリピーターのかたに来ていただけるのはうれしいんですけど、地元の若いかたや新しいお客さまにも、もっと来てもらえるお店にしたいと、2025年12月に「魚やラララ」としてリニューアルオープンしたんです。この場所は大通り沿いで交通の便もよいので、観光客のかたも気軽に入ってみようかなと思ってもらえるように、名前も「魚やラララ」にしました。
よく「なぜ『ラララ』?」と聞かれるのですが、まず、能登の魚を通して「食べるって楽しいな」って感じてほしいこと。そして、お客さまにお誕生日などの特別な日に、うちの魚を食べて、楽しい、幸せな時間を過ごしていただければいいなと思っています。ちょっと抽象的ですが、そんな思いを「ラララ」という言葉に込めました。能登の魚を通して、みなさんに「ラララ」な時間をお届けできたらうれしいですね。
オンライン販売にも力を入れています。したひら鮮魚店では、ショーケースに魚を並べる昔ながらのスタイルでした。でも、最近は、地元のお客さまも少なくなったし、並んでいる魚からお客さまが直接選んで持って帰ることが減ってきたんです。だから、今後、県外のかたに販売することを念頭に、オンラインがいいんじゃないかと考えました。扱うのはお刺身がメインです。
一度は離れた故郷。戻って感じた魅力とは

真澄:
大学は金沢だったので、一度、宇出津を離れているんです。もちろん魚屋を継ぐつもりなんて全然ありませんでした。でも、大学時代に居酒屋でアルバイトして、ホールと調理場の両方を経験したとき、すごく楽しくて。当時、したひら鮮魚店では飲食もやっていたので、帰省して手伝っているうちに、「なんか継いでもいいかな……」と思うようになったんです。
「継ぐ」って宣言したわけじゃなくて、なんとなくそういう流れになった感じです(笑)
大学時代に海好きな友人たちが、毎年のように能登へ泳ぎに来ていたんです。みんなが「すごくいいところやな」って言っても、僕には当たり前すぎて、その良さが全然わかっていませんでした。きれいな海がすぐ近くにある環境って、そうあるわけじゃない。こんなに魅力的なんだって、離れて初めて気づきました。
この地域では、若い人はまず青年団に誘われるんです。だいたいの人は断りきれない(笑) 最初は「また呼ばれたな」と思っているうちに、一緒に祭りの準備をしたり飲んだりして打ち解けていきます。入ってしまえば楽しいんです(笑)
祭りや地域行事を通じてつながるので、友達というより、先輩、後輩といった感じですかね。先輩、後輩というと、厳しい上下関係を思い浮かべるかもしれませんが、年齢に関係なく一緒にお酒を飲んだり、カラオケに行ったりして、楽しく騒ぐことが多いですね。
あばれ祭にも参加しますよ。痛いし疲れるんですけど、みんなと一緒にやるのがいいんだと思います。学生時代の部活みたいな感覚かもしれません。
魚屋なのに魚を届けられないもどかしさ

真澄:
能登半島地震では、店自体はちょっと物が落ちた程度だったんですが、魚屋として一番影響を受けたのは、水が使えなかったこと。3月10日ころまでまったく使えなかったんです。
地震のあと10日ほどは県内の妻の兄の家にお世話になっていました。一度様子を見に店に戻ってきたとき、「水は出ないけど、魚屋として何かできることはないかな」と妻と話しました。漁師さんたちは、震災後1週間ほどで漁を始めていたので、インターネットで「水が出ないのでさばけないけど、能登の魚をお送りします」と販売を始めました。さばけないまま、丸ごとの魚しか送れなかったんですが、応援の意味で買ってくださる方がたくさんいました。テレビの取材を2回ほど受けたおかげか、本当に多くの方にご注文いただきました。
そうこうしているうちに、地元のかたの「刺身が食べたい」という声が聞こえてくるようになりました。ちょうど移動販売車があったこと。また、自衛隊から安定して水を供給され魚をさばいて刺身にできるようになっていたので、妻が公民館などを回って定期的に販売していました。

下平 扇さん(以下、扇):
「ずっと缶詰しか食べてない。刺身が食べたかった」ってすごく喜んでくれました。みなさん、水が出ないから調理ができないんです。だから、すぐ食べられる、それも缶詰じゃない刺身を本当に喜んでいらっしゃいましたよ。
3月に入ると市場でセリが始まって、水も出始めたことでほかの魚屋さんも本格的に営業再開したので、移動販売は終わりにしました。
でも、魚屋として、あのときほど、悔しい、もどかしい思いをしたことはなかったですね。漁師さんが魚を捕ってきてくれとるのに、みんなに魚が食べたいって言われとるのに、どうして届けられんのかってめちゃくちゃ悔しかったです。じゃあもう、うちらが届けるしかないって夫と話したんです。
夢は、いつか自分で獲った魚をさばいてお客さまに食べてもらうこと

真澄:
最近、気になっていることは、能登で獲れた魚の多くが金沢へ行ってしまって、地元に出回らなくなったこと。もう一つが、漁師さんが減っていることですね。
狙った魚を獲れる漁師さんがどんどん少なくなっていて、魚の種類も減ってきています。今いる漁師さんの多くが70代なので、このままいくと5年後には、欲しい魚が手に入りにくくなるんじゃないかと不安を感じています。
最近は都会にも釣りが好きな人がたくさんいるので、兼業というか、趣味と仕事の中間のような形で関われる人が増えるといいなと考えています。漁業権の問題もあるんですけど、漁協の方に敷居を低くしてもらって、もうちょっと水揚げを増やせないかなと思うんです。
妻にもよく言うんですが、実は僕自身も漁師をやりたいんです(笑) 自分で獲った魚を、自分でさばいて、お客様に届ける。ちょっとした夢ですね。店舗でのイートインも考えています。能登町の三蔵(松波酒造、数馬酒造、鶴野酒造店)のお酒を並べて、僕が魚をさばいて。魚屋でお酒が飲めたらおもしろいんじゃないかって。
▶シロシル能登 能登うまれ能登そだち。“松波酒造”の日本酒で乾杯!
▶シロシル能登 100年先を想う“数馬酒造”の「酒蔵の領域を超えた」使命
▶シロシル能登 能登から紡ぐ谷泉──“鶴野酒造店”14代目が探す「私たちらしさ」
扇:
私たち、やりたいことが多過ぎて(笑)。これからどうしていくか真剣に考えないと……。
いつまでも風景のなかに魚屋がある能登、宇出津であってほしい
扇:
地震のあとに「能登のどこが好きですか?」って聞かれるようになったんですけど、まだ答えが見つからないんです。すごく大切な場所だし、好きなのは間違いないけど。うーん。居場所かな。この先、何かあって建物が壊れてしまうようなことがあっても、きっとまた戻ってくるんだろうなって思います。
真澄:
僕は、能登、宇出津の風景のなかに、個人経営の魚屋がある。そんなまちの風景を次の世代につないでいけたらいいなと思っています。子どもはまだ9歳で、魚屋になりたいとは言ってくれないけど、僕たちの背中を見て、いつかそう言ってくれるようになったらうれしいですね。そのためにもまずは「ラララ」の時間をもっと多くの人に提供して、地元の人はもちろん、観光や仕事で来た人にも、ここへ来て良かったなと思ってもらえる場所にするのが一番かな。
取材後記

今回、下平さんご夫妻に「能登の好きなところ」を聞いたとき、顔を見合わせて答えにつまってしまいました。はてさてどうしようと思っていると……。でもそんな心配は杞憂でした。「答えが見つからない」と言いながら、身体全体、表情から「能登が好きでたまらない」が伝わってきたから。理由なんてどうでもいい。でも好きだからここにいたい。もし離れてもきっと戻ってくる。お二人の能登が好きな気持ちに限りがありません。震災直後、「魚屋なのに魚を届けられないのが悔しかった」と夫婦で悩んだ日々。それでも水のないなか移動販売を始めた勇気と決断。そこにもお二人の「好き」が詰まっているように思いました。店名にこめた「ラララ」にも、お二人の故郷が「好き」な気持ちがあふれていました。取材中、お二人が顔を見合わせながら話す様子を見ていて、このお店そのものが、まさに「ラララ」なのかもしれないと、私も幸せな気持ちになりました。





