石川県珠洲市、能登半島の最先端にある木ノ浦(きのうら)。関西の飲食店で働いていた大畑佐知(おおはた・さち)さんが、この地に初めて降り立ったのは、ある旅の途中のことでした。入り江の景色に心を奪われ、前オーナーから引き継ぐ形で"Cafe Cove"(かふぇ・こーぶ)をオープン。しかし、2024年の地震と豪雨で、大切にしてきた店舗が全壊判定を受けるという大きな苦難に見舞われました。2026年現在は市内の仮店舗にて営業を続けており、常連客や地域の人々に支えられながら、再びあの美しい木ノ浦の海辺に灯をともす日を静かに見据えています。
[取材・写真・構成 伊藤璃帆子]
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目の前にある「しあわせ」に手を伸ばして

“Cafe Cove”を営む、大畑佐知です。
四国で生まれ、神戸の大学を出て、関西の飲食現場や八百屋で下積みを重ねてきました。最後は京都のイタリアンに勤務。調理だけではなく、いろんな役割を同時にこなして、厨房の外が雨なのか雪なのかもわからないほど多忙な日々を過ごしていました。しかし、30代後半を迎えて、ふと「この働き方は一生続けられないな」と、立ち止まったんです。

そんな仕事三昧の日々を過ごしていたなか、夏休みの旅で訪れたのが木ノ浦海岸でした。「とうとう日本の端っこまで来ちゃった!」入り江の景色を見て、そんなことを思ったのを覚えています。周辺を散策しているとき、傍らにある珈琲焙煎所の隣に、閉まったままの店舗物件を見つけました。「スタッフがいなくて開けられない」とオーナーさんに聞いて、気づけば「私、移住してきます」と口にしていたんです。
「気候がきびしくて、冬は営業できないよ」と言われましたが、そんな条件も、私にはむしろ好都合だと思いました。休みが取れるなら、大好きな旅に出たらいいだけだと、どこか軽やかな心地で珠洲への移住を決めました。
急な決断に、周りの友人たちは、本当にびっくりしていました。でも、しあわせは、待っていてもやってこないから。そこにやりたいことがあるなら、迷わず手を伸ばそうと思ったんです。
仕事も住処も奪われて

能登に自宅を購入したのは2023年末。数日滞在して、冬休み中の旅行に出かけている最中の大地震でした。まだ1週間も住んでいない自宅の様子もわからないまま、愛媛の実家でテレビから流れる珠洲の惨状をただ見つめるしかありませんでした。
1月末、やっとの思いで木ノ浦の店へ向かうと、冬囲いしていたはずの建物内部は野晒しになり、割れた窓ガラスがそこらじゅうに飛散していました。全壊判定。買ったばかりの自宅も半壊。新品の家電も、家具も壊れてしまっていました。
やっと手にした我が家と、生活の糧である店。すべて失ったあの日からしばらくの間、目の前から希望の光が消えていました。
祈るように、料理を作り続ける日々

金沢で避難生活を送ることになり、「のと食堂」という支援プロジェクトに参加しました。ワンコインで被災した方たちへ食事を提供でき、売上は被災した飲食店オーナーに入る仕組みで、本当に救われました。気持ちが前を向けるようになるまで、心を癒すためにできることは何でもしようと思って。

けれども、心は長い間不安定なままでした。食堂でテレビ局の取材に応じていたときに「能登の食材はどれ?」と聞かれ、思わず感情が昂ぶってしまうこともありました。当時は塩一握りを用意するのすら精一杯という過酷な状況下で必死に料理を作っていたんです。皆が被災し、供給が止まっているなかで、食材の産地なんて考える余裕などありませんでした。見ず知らずの人に料理を作る気力もなかなか出ず、予約枠を閉じたこともありました。

震災後、私の心は珠洲に帰ることは揺るぎなく、ほかで再建することはまったく視野にはありませんでした。ただ木ノ浦に帰る道筋がなかなか見つけられずにいました。
金沢で避難生活を送りながら、心は常に揺れ動いていました。木ノ浦という場所だからお客さんが来てくれていたわけで、別のところに移転したら、お客さんは離れてしまう……そう思っていたんです。けれども、金沢のとある物件を貸していただけることになったとき、オープンを待つお客様の姿を見て、ハッとしました。誠実に向き合えば、どんな場所でも人は来てくれるのだと。

そうして、自宅を直してお店を再開しようと動き出しました。金沢から少しずつ荷物を運び、半年かけて自宅の半分を店舗として作り込みました。旅の記憶や美術館での風景──自分の蓄積をすべて注ぎ込みました。家具は地元の職人に依頼しました。知らない誰かではなく、信頼できる知人にお金を落としたい。そのシンプルな想いが、今の店をカタチ作っています。
今日の能登を表現する一皿

実は私、そんなに料理に自信があるわけではないんです。自信がないからこそ、野菜そのものが持つ力を最大限に引き出して届けたい。私がつくる料理の味付けが極めてシンプルなのは、素材の良さを生かしたいからと、もう一つ、これまで旅先で学んだ現地のシンプルな調理法が源になっています。

今日の一皿を通じて、近所のお母さんたちをどこか遠くの国に連れて行くこともできるし、都会からやってきた人たちに、素朴な田舎の風景を見せることもできる。
地元の方には「この野菜はこんな風に食べられる」と紹介し、外から来た人には「珠洲にはこんなに美味しい野菜がある」と伝えたい。

かつて木ノ浦の店舗でランチを提供していた際、お客様から「佐知さんのご飯を食べたあとは、体が健やかで軽くなる」という言葉をいただいたときは、本当に嬉しかった。外食特有の重さがなく、毎日食べても飽きない料理。オーガニックといった言葉だけに捉われるのではなく、食べる人が毎日でも通い続けられるような、健やかであってほしいという願いを込めて、一皿一皿に実直に向き合っています。
奪われることのない、本当の「豊かさ」

能登に来て、これまで信じてきた「豊かさ」が根底から覆されました。
地元のお母さんたちは、自分の畑で野菜を作ったり、それを保存食にしたりして、自分の分だけではなく、人にわける分まで作ります。近所から野菜をいただき、漁師さんから魚をわけてもらう暮らしのなかで、私は自分が何もできないことを痛感しました。

都会では時間は買うことができますが、能登ではお金がさほど役に立ちません。たとえば引越しをしたければ、都会なら引越し業者さんを呼ぶのだけど、能登で必要なのはトラックを持つ友人と人手、つまり互助の精神なのです。お互いのできることで助け合う温かさが、当たり前の日常。
昔は、お金をたくさん稼ぐことが豊かさだと思っていました。でも、いくら稼いでいたって、ライフラインが止まれば都会の生活は立ち行かなくなります。能登のみんなが震災を生き延びられたのは、自活する力が備わっていたから。これが本当の豊かさだと気づくことができたのです。

草刈りや家の修繕、畑仕事──こういったことをお金で解決するのではなく、自分たちの手でやろうとすると、一日はあっという間に過ぎていきます。一見、非効率に見えるかもしれませんが、実はとても豊かなことです。
動じない自然と、人々の生きる力

木ノ浦の建物は、今も当時のままです。電話や電気の支払いを止めることは、私にとって一つの区切りでした。いつの日かあの入り江に戻ることが、今でも最大の願いです。
地震後、隆起によって木ノ浦の景色は一変しました。空気が変わってしまった寂しさもありますが、初めて訪れた人が「素敵」と言ってくれることに救われることもあります。隆起した岩場にカモメが佇む姿を見て、「オロオロしているのは人間だけだ」と痛感しました。自然の再生力は凄まじい。

珠洲から輪島へ続く、今しか見られない道があります。自然の驚異と人間の不屈の技術。その両極を、ぜひ自分の目で確かめてほしい。今の能登を感じに、足を運んでいただければ幸いです。
取材後記

取材を終えて、車で走り始めたとき、佐知さんの言葉が頭をよぎった。
「都会の人は、急ぎすぎだよ。そんなに急がなくていいよっていつも思う。ずっとここにいたらいいのに」
筆者、仕事もプライベートも、予定をパンパンにしてしまうタイプ。リフレッシュのための旅行でも、帰るころにはドッと疲れていることが多い。
「立ち止まってみてよ」
そこから引き返して、崩落した道を進みながら、佐知さんの最初のお店がある木ノ浦海岸にたどり着いた。
剥き出しになった地層、その隙間を走るフナムシ。かつて海底だった岩場から芽吹く緑をアゲハの幼虫が食む。遠くに一人、海水浴をする人。
岩場に座り、日が暮れるまでそこにいた。
目的もなく、ただ海の色が変わるのを見つめる時間は、静かで、優しかった。
“Cafe Cove”の「さいはてのピアノ」クラウドファンディングやっています!

“Cafe Cove”に、一台のアンティークピアノがあります。二度の震災を乗り越えたこのピアノ、実は1952年製で、貴重なものだとわかりました。このピアノを復興の象徴として、後世に繋ぐプロジェクトを実施しています。ぜひ応援してください!
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