能登半島地震を契機に地域コミュニティの変革が迫られるなか、「食」を通じて能登の復興と課題解決に挑むボランティア団体がある。その名も“チーム能登喰いしん坊”。代表の森本敬一(もりもと・けいいち)さんが16年前に立ち上げたこの団体は、能登の「トータルな食文化」を次世代へ伝えるために走り続けてきた。震災後は全国でのチャリティ物産展への出店や、穴水町にあるお寺「千手院(せんじゅいん)」の復興ツーリズム拠点化などに活動を拡大。「おいしい食があれば人は集まる」と語る森本さんに、チームの歩みとその先に描く能登の未来について聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
食のすべてがこの地で完結。地場食材のすばらしさ
“チーム食いしん坊”を結成したのは16年前、能登ワイン用の葡萄生産農場長の小川浩さんとふたりでのスタートでした。「もっと多くのかたに地場食材のすばらしさを知ってほしい」という思いが原点です。それは、「大人のアソビバ・自分たちのアソビバを作る」ためでもありました。
能登は伝統的な調味料「いしる(いしり)」や中島菜、ナマコの卵巣から作る「くちこ」など、独自の特産品が豊富です。しかし地元の人にとっては「ある」のが当たり前。若い人が食べる機会はほとんどありません。もっと手軽にこの豊かさに触れてほしいと考えたのです。
さらに能登のすごいところは、食材だけではなく、薪や木炭などの燃料から珪藻土コンロ(七輪)などの調理器具、輪島塗や珠洲焼きといった食器まで、食にまつわるすべてのプロセスをこの土地だけで完結できることにあります。この圧倒的な能登の食材の豊かさを広く知っていただき、地産地消を進めていくことが「チーム能登喰いしん坊」の目的です。
レパートリーは約40種類。お客さんの声をきっかけに始まったレトルト化

僕たちは地域のイベント屋台で提供するために、これまでに約40種類のメニューやレシピを開発してきました。その代表格が、能登の牡蠣や、日本三大イカ漁港のひとつである小木(おぎ)港で水揚げされるイカ、そして約500年にわたり地域で受け継がれてきた伝統野菜・中島菜などの食材を専用の機械で圧縮して焼き上げる「能登ぺったんこ焼き」です。モチモチの生地にいしるソースを使った能登版クレープといった感じです。
現在、“チーム喰いしん坊”のメンバーは約40名。公務員、のと鉄道職員、移住者、林業家、主婦、建設会社社長など肩書きはさまざまです。
メンバーはそれぞれ本業をもっていますが、飲食店を営んでいる人はいないんです。そのため、年に1度のイベントでお客さまに「おいしかった。また食べたい」と言われても、「次は1年後です」と答えるしかありませんでした。
そんな私たちの転機となったのは、私の祖父がかつてアメリカで学んだレシピをもとに、能登産の牡蠣をたっぷり使った「能登牡蠣チャウダー」を販売したときのことです。一口食べた女性が言ったんです。
「1年も待てないから、レトルト化したら?」
その言葉を真に受けて、20年前に「能登牡蠣チャウダー」をレトルト商品化しました。その後、試行錯誤の末、辛口の「能登牡蠣ブラックカリー」と、スープ仕立ての「能登牡蠣ホワイトシチュー」の2種類をメインに展開したところ大ヒット。大手百貨店やカタログハウスなどでも採用される人気商品になりました。
「未利用・未活用」の資源を定価で全量買い取る理由とは?

「チーム喰いしん坊のテーマ」は、「地域課題をモグモグ喰べて解決する」ことです。
例えば、能登牡蠣のレトルト商品は「未利用・未活用」の牡蠣を救う取り組みから始まっています。
穴水では牡蠣の殻をむくベテランを「むきこ(剥き子)」と呼びますが、手作業のため牡蠣の身に傷をつけてしまうことがあります。傷がついてしまうと、味は同じなのに正規品として出荷できないため、近所に配るか捨てられるか、ということになってしまいます。
僕たちはこの傷ついた牡蠣を全量、正規品と同じ定価で買い取っています。安く買ったら生産者を守ることになりませんからね。「傷がついても価値のある」牡蠣を定価で買い取り、レトルトや屋台での食材に活用しています。
また、5〜6月に獲れる「春の牡蠣」は身が大きくて美味しいのに、市場ではシーズン終了とみなされ価値がなくなってしまいます。その牡蠣も定価で買い取ってレトルト商品に使っているのです。
ほかにも、製薬メーカーとコラボして紅葉したブドウの葉を「能登の葡萄畑の紅茶」として商品化するなど、食品ロスを減らすためにさまざまな活動に取り組んでいます。
以前、イベントで400人分の牡蠣チャウダーを作ることになり、ブログで大量の野菜を切る手伝いをしてくれる人を募りました。すると、遠方から観光で来ていた主婦のかたがそのブログ記事を見つけ、翌朝、マイエプロンとマイ包丁持参で現れたんです。「1回でも活動に参加してくれた人は全員メンバー」というのが僕のルール(笑) この緩やかで開かれた関係性が、“チーム喰いしん坊”の強みです。
震災後の2つの使命。チャリティ物産展と千手院の再建



震災を経て、活動は大きく2つに変化しました。
1つは、震災直後の2024年5月から始めた「能登物産展」の全国展開です。全国のデパートなどに、能登の仲間たちが作るレトルトカレーや塩、パスタ、ジビエ、米飴などを売りに行くこと。この売り上げは、すべてチャリティとして能登の生産者さんにお返ししています。
もう1つが、穴水町にあるお寺「千手院(せんじゅいん)」の復興です。約10年間住職が不在でしたが、震災を機に新住職を迎えることになりました。激しく損壊していた建物を直すため、2025年2月から毎週のように学生ボランティアを受け入れ、累計1,000人以上、ダンプ17台分の震災ゴミを運び出しました。
そして、この場所をボランティアや観光客が集まる「復興ツーリズムの拠点」にすべく掃除を続け、いよいよ本格的な改修工事もスタートしています。
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「おいしいご飯」があるから人は集まる


なぜ喰の団体である“チーム喰いしん坊”が、お寺の復興に関わるのか。
震災直後、多くの学生やNPO団体の人たちがボランティアに駆けつけてくれました。その姿を見て、ボランティアを受け入れる「受け皿」を作ろうと考えたことがひとつです。

何より僕たちは「喰べるのも、喰べさせるのも、大好きな喰いしん坊」です(笑) 遠くからボランティアに来てくれた皆さんに、ただ作業をして帰ってもらうだけではなく、おいしいものを食べて楽しい思い出を作ってほしい。千手院の境内では焼き芋や炊き出しのほか、輪島塗の御膳を並べて能登の食材を振る舞う企画も実施しました。
名古屋工業大学大学院の北川啓介教授からは、簡易建築物「インスタントハウス」4基とベッドなどの家具をご寄付いただきました。インスタントハウスは、被災地で役割が終わると処分されてしまいがちです。しかし、“チーム喰いしん坊”ではボランティアの宿泊施設としてだけではなく、住み込みで大工の手元や観光客の案内などに奮闘してくれている若いスタッフの生活の場としてもフル活用しています。
現在は檀家がゼロで無収入の千手院を自活できる寺院に復活させるために、朝の読経や写経、能登の精進料理を習うワークショップといった体験メニューも企画しています。「全国に向けてサポーター(檀家)を募集する」という新しいお寺の支え方にも挑戦しようと考えています。
若者3人が移住。地域社会と「新しい風」の架け橋に

そして、千手院のボランティア活動に関わった若者のなかからすでに3人の移住者が誕生しました。小さな集落において、これは本当にとんでもないことです。
一方で、歴史ある保守的な集落に新しい人が入ることで摩擦が起きる現実もあります。東日本大震災の被災地を視察した際も、移住者と地元住民が必ずしもうまくいっているわけではないという現実を目にしました。
回覧板の回し方ひとつとっても、地域特有の作法があり、若者がそれを知らずに過ごすと波風がたってしまうかもしれません。だからこそ、“チーム喰いしん坊”の僕たち大人が、両者がうまくコミュニケーションを取れるようにハブの役割を担いたいと考えています。
千手院の敷地に30年間不法投棄されていた巨大なタイヤ100本を高校生ボランティアと処分した際は、地域の方からとても感謝されました。このように今は、移住者と集落のあいだを取り持って地道に実績を積み上げていくしかないと思っています。
千手院を過去の形に戻すのではなく、楽しい復興ツーリズムの拠点、そして地域の困りごとを解決する手段にする。地元の住民も、移住者も、旅人も、誰もが自由に集まって美味しいご飯を食べながら笑顔になれる場所を、“チーム喰いしん坊”の仲間たちと一緒に、耕し続けていきたいと思っています。
取材後記
食材を生産する人、調理する人、食器を作る人、そして食卓を囲む人。そのすべてがつながって初めて地域の食文化が成り立つというのが森本さんが考える「食」。
震災後、多くの人が能登に足を運び、復興に関わろうとしています。そのなかで「おいしいご飯があるから人は集まる」という森本さんの言葉には、人と人をつなぐ食の力への確かな手応えが感じられました。
千手院を拠点に始まった新しい挑戦も、根底にあるのは「みんなで食卓を囲む」というシンプルな営みです。地域の課題をモグモグ食べながら解決する──。
森本さんたちが耕し続けるその場所に、これからどんな人が集い、どんな新しい物語が生まれるのか。その歩みをこれからも見届けていきたいと思います。





