令和8年熊本地震の発災から、2026年9月28日で2ヶ月になります。
振り返ると、能登半島地震の発災から2ヶ月後、私はこう書いていました。「SNSの反応は体感90%減」「久しぶりに会った人から『地震大変でしたね』と過去形で言われる」「『人の噂も75日』まであと2日」・・・など。
奥能登豪雨の時も、ほぼ同じです。ちょうど発災から2ヶ月経ったところで、給水ボランティアが慢性的に不足する状態になりました。「このままだと断水」と、かなり強い語気で危機感をあらわにしていました。このとき私は、腹を立て、そして恐れていたのです。人々が能登を忘れていくことを。
今回の熊本地震で「2ヶ月」を経験するのは3度目です。そして、今回もまったく同じ景色です。熊本・八代の断水問題は「過去の話」だと思われるようになり、メディアの関心も下がっていき、ボランティアが集まらなくなる。人間という生き物は、そういうふうにできているのだと思います。しょうがないのです。
そして、ここから先をどう設計するかが、私たち「中間支援団体」の仕事です。私たちがやることは3つです。
[1]水を運び続けます
ボランティアさんがどれだけ減ろうと、水を運び続けます。正直に申し上げると、10月1日以降は3日〜5日に1回しか給水に行けなくなる見込みです。ご利用者さん達にはご不便をかけますが、寄付金以外の一切の補助がない状態の私たちの力だけでは、これが限界です。それでも、諦めずに、運び続けます。
いつもお願いばかりで大変恐縮ですが、活動に必要な資金のご提供をお願いいたします。お金がなければ、活動ができません。
[2]行政へ働きかけます
地元の方が「仕事として」復興を担える形を作ります。石川県には「能登復興推進隊」という制度があります。
奥能登豪雨から2ヶ月、ボランティアの方が集まらなくなってきたころに、この制度が使えるようになりました。断水が続く大谷地区の給水を、被災した地元の方々が「仕事として」担ってくださった。ボランティアが減るタイミングで、地元の雇用に切り替えることができたのです。
熊本には、公開情報で見る限り、同じ仕組みがまだありません。熊本版の「復興推進隊」制度の開始を、行政に働きかけていきます。
[3]徐々に後ろに下がります
こうした制度との接続を通して、動いて下さる地元の人を探し、その方々が自走できるように少しずつ整えて いきます。その体制を作りながら、自分は少しずつ下がっていきます。被災地の復興は、よそ者が担うものではない。被災者自身が担うべきものです。私が、能登で2度やってきたことを、熊本でも行う必要があると考えています。
発災2ヶ月。ここからは「忘れられることとの闘い」です。
私たちは、明日も水を運びます。
一般社団法人能登乃國百年之計 岩城慶太郎




