七尾市田鶴浜(たつるはま)町で江戸時代から発展してきた「田鶴浜建具(たつるはまたてぐ)」。障子や欄間に繊細な幾何学模様を浮かび上がらせる「組子細工(くみこざいく)」の技術は全国で一目置かれ、田鶴浜を「建具の街」として知らしめてきました。
しかし、住宅様式の変化や職人の高齢化で伝統の継承が危ぶまれ、追い打ちをかけるように令和6年能登半島地震が発生。数少ない地元業者である“多村建具製作所”の多村正則(たむら・まさのり)さんは、被災した住宅の修理・修繕に走り回りながら、震災前から取り組んできた「伝統を新たな形にする」製品づくりを復興の象徴としても生かそうとしています。その経験や職人としての思いを聞きました。
[取材・構成 関口威人]
江戸時代からの地場産業も時代の流れで衰退
田鶴浜建具の歴史は江戸時代初期の1650年、この地域で東嶺寺(とうれいじ)というお寺を建てるときに始まったと言われています。
当時の家具や建具をつくる職人であった指物師(さしものし)たちが尾張の国から来て、その卓越した技術に田鶴浜の村人がひかれて弟子入りしたそうです。そこから釘を使わずに細い木を幾何学模様に組み付ける「組子細工」の技術が磨かれていきました。
昔の建具は高さも幅もほぼ決まっていて、全国各地で同じ大きさのものを何十枚もつくるものでした。しかし、建具の枠のなかに細工を施すのは手間がかかるので、ほかの街の建具屋さんから「細かい細工の建具は田鶴浜で」と頼まれるようになり、田鶴浜が「建具の街」として全国に名をはせていったんです。

うちは地元の建具製作所に弟子入りした父親が戦後に独立して創業した製作所。最盛期には従業員が10人近くいて、塗装をする部門があったり、母がふすまの紙を貼ったりと、それなりの規模の分業体制でやっていました。
しかし、時代とともに住宅の様式が変わってきました。洋風で天井が高くなるとともに、建具の高さも2メートル近くになり、大きな設備がないとつくれない。昔ながらの田鶴浜の建具は「古くさい」とされ、手間暇かけて組子細工をつくっても儲からないから、跡を継ぐ者もいなくなる。かつては田鶴浜に60以上の建具業者がありましたが、やがて10ぐらいに減り、田鶴浜建具工業協同組合という組合も2016年に解散してしまいました。
うちも父が病気で他界し、28年ほど前から私がすべての作業を1人でやっています。儲からない、後継者がいないという状況を変えるためには、伝統技術を新しい形で見せて付加価値をつけるしかない。震災前から私はそう考えて試行錯誤していました。

伝統技術の応用を試行錯誤しているさなかに震災
例えば、複数のパターンの組子細工を組み合わせた仕切りを開発し、のと鉄道が2015年から運行している観光列車「のと里山里海号」の内装として設置されました。

地元の和菓子屋「能登情熱和菓子店 すぎもり」に設置されているパーティションは組子細工で能登の四季や風景を表現したものです。
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ほかにも組子の隙間にガラス玉を組み込んだり、木を音符の形に刻んで「楽譜」を表現したりと、要望に合わせてデザインや素材を工夫しています。材料の木はスギやヒノキ、ヒバのほかクロガキなどを用途によって使いわけます。


インテリア向けでは、飾り障子のほかにランプシェードやスピーカーカバーなどもつくっています。これらは現代の住宅にもなじむ「和モダン」の雰囲気をかもし出します。小物や雑貨ではコースターやストラップから、能登の祭りで使われる「キリコ」の形のスマホ立て、「でか山」の形の名刺立てまで。変わったところでは実際に弾けるギターに象嵌(ぞうがん=いろいろな木を埋め込んで模様をつけること)をしたこともあります。
そんな試行錯誤を重ねているさなかに、2024年1月の能登半島地震を経験しました。

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自宅や工房が被災するも「戸を直して」の依頼に走り回る
私も自宅で被災し、避難所から工房の様子を見に行くと建物は傾き、なかは機械も商品も倒れてめちゃめちゃでした。どうしたもんかと頭を抱えましたが、片付ける間もなく「地震で戸が動かないから直してほしい」といった修理の依頼が殺到し、現場に駆け付けて対応していました。そうしているうちに、どうしても薪ストーブの煙突の掃除をしなくてはいけなくなり、その作業ではしごから転落して腰をけがしてしまいました。
そのせいで3月までは現場に行けず、かわりに工房を少しずつ片付けて作業のできるスペースを確保。なんとか仕事を再開してからは、たまった修理の依頼に対応するため、日曜日もないぐらい走り回ることになりました。
依頼は「ちょっと直してほしい」というものから「全面的に入れ替えて」というものまでさまざま。地元の大工や内装屋、あるいは個人から直接頼まれることもありますが、リフォーム会社経由の依頼は納期も決まっていることが多いので、どんどん仕事が詰まってきてしまいます。

震災の経験生かし、強さと美しさ両立させた建具を
地震前はなかなか儲からない商売と言っていましたが、今は材料や電気代なども高騰したぶん、見積もりの段階でちゃんと高い値段をつけて利益を出せるようになりました。問題は人手ですが、今仕事があるからといって人を増やそうという単純なことではありません。
私が対応しているのは古い家のリフォーム。一方、地震後に新しく建つのは大量生産の既製品しか入らないような家ばかり。それが何年かしたらリフォームすることになっても、既製品は既製品で入れ替えるだけでしょう。だから私が人を雇ったところで、何年後かにもずっと仕事があるとは言えないんです。
古い家のリフォームで「伝統的な建具を使いたい」という話があればぜひやりたいのですが、実際は「今のものでより頑丈に」という依頼がほとんどです。というのも、細かい木で組み上げる組子細工は、やはり折れやすいことがわかっているからです。
それでも、私が手掛けるものには最小限の開口部に組子細工をあしらう頑丈な戸もあります。デザインも伝統的な柄ではなく、ギンガムチェックやタータンチェックなどを参考に、和洋関係なく現代の住宅に取り入れられるものです。これらをアピールして、さらに強さと美しさを両立させた建具をつくりたいと考えています。

「たつるはま未来会議」で復興の新たな取り組み
こうした取り組みを見てもらうために、今までは自宅がショールーム代わりになっていました。しかし、被災した今は見学なども断らざるを得ません。倉庫すらなくなってしまったので、物を置く場所もありません。新しく倉庫を建てるための助成金の申請も進めていますが、どの業者も忙しくて見積もりすらなかなか出てこないのが現状です。
小物類は和倉温泉の土産物屋などで取り扱ってもらっているものの、土産物としては値段が高いので置いてもらっているだけの形になっています。オンライン販売もできればいいのですが、WebサイトやSNSの更新もままならないぐらいなので、だれかに手伝ってもらえればありがたいです。
地震後は田鶴浜にもさまざまな支援をいただきました。2024年11月には若手住民とボランティアたちによる「たつるはま未来会議」が立ち上がり、復興とその後のまちづくりを話し合って一つずつ実現していく活動が始まりました。
その活動の一つとして2025年に実施されたクラウドファンディングで、私も返礼品の掛け時計や組子細工の組み立てキットを制作。集まった支援金を活用して、のと鉄道田鶴浜駅の跨線橋を地震で使われなくなった建具の組子細工で飾り立てました。
また、組子細工で能登半島の形が浮かび上がるアート作品を住民と一緒につくり、2026年1月に開催された震災追悼式「たつるはまのつどい」で披露しました。復興の象徴として金沢の建具展でも展示され、今は工房近くの古民家居酒屋「タツルエ 」に置かれています。
伝統技術に付加価値をつけようと、震災前の私は孤軍奮闘してきました。これからは「未来会議」をはじめ地域の人たちと協力しながら、さらに新しい価値を付け加えていければと思っています。

取材後記
地元の組合はなくなっていますが、石川県建具協同組合に「田鶴浜支部」は残っており、今年度から多村さんが支部長に就任されたそうです。
「周りはみんな私より年上で、結局自分がなんでも引き受けることになる」と苦笑いしていた多村さん。修理の仕事に復興支援に組合の活動……。そんな多忙のなかで取材に応じていただきました。
ちなみにYouTubeには4年前に組子細工のギターを試し弾きする多村さんの動画 がアップされています。「ヘタですいません」と断っていますが、いや、なかなかではないですか! やがて多村さんの仕事や活動が落ち着いて、ゆったりとギターをつま弾ける日がくることを願っています。




