大正末期の創業以来、能登の大豆と小麦にこだわり、醤油を仕込み続けてきた鳥居醤油店(とりいしょうゆてん)。しかし2024年1月1日に起きた能登半島地震は、店や家族、働く人、それぞれの暮らしに大きな影響を与えた。3代目女将である鳥居正子(とりい・まさこ)さんが何度も口にしたのは、多くの人たちに支えられたことへの感謝。そして震災は、家族が店の未来について話し合うきっかけにもなったという。醤油づくりにかける思い。七尾での暮らし。そして次の世代へ受け継がれていく店のこれから。醤油の仕込み作業の真っ最中の鳥居正子さんに、蒸し上がってほんのり温かな大豆を見せてもらいながら話を聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
取材:2026年1月27日
歴史のまち「七尾・一本杉通り」で受け継がれてきた醤油づくり

一本杉通りは古いまちだから、昔からたくさん店があったように思われるんですけどね。実は明治のころにお金を貯めて、「一本杉通りで商売をしたい」と集まってきた店が多いんです。
うちが醤油屋になったのは大正末期のころです。その前はお菓子屋。その前が小間物商(※)だったところまではわかっています。
醤油屋としてのこだわりは原材料。能登の大豆と小麦を使って、手づくりしています。他にこんなふうに麦を炒っているところはあまりないと思います。炒った小麦は次に砕くんです。
これまではね、大きな鍋で蒸した大豆をここにあるかまどで火入れしていたんですよ。
それが、震災でかまどに穴が開いてしまって。
それで新しくガス釜を入れたんですけど、まだ使っていないんですよ。安全装置が付くまではちょっと怖くてね。
▶小間物商<出典:国立民俗学博物館 近代日本の身装文化(参考ノート)>
逃げるときに目にした砂埃だらけの風景

建物は昭和42年の大雨のあと鉄骨で補強してあったので、持ちこたえてくれました。蔵も、「本来なら倒れていた」って言われました。鉄骨が支えてくれていたんですね。だけど壁は全部落ちましたよ。
地震で逃げるとき、砂ぼこりだらけだったので、「もろみ蔵もきっとやられてるわ」と思っていました。あとから蔵の中に入ってみたら、板で壁を張ってあったためか、桶には土が入らず、もろみは無事だったんです。
蔵前に置いてあった小麦と大豆は落ちた土壁でやられてしまいました。特に小麦の袋には穴が開いてしまって、震災で壊れた天井から雨漏りすると緑色の芽が出てきましたね。
店は倒れこそしなかったけれど、土壁が落ちたり、戸がゆがんだり。土壁は直してもらっていますが、耐震のために壁や柱が増えてしまうらしいです。
昔の写真を見ていると風情があっていいなと思うけど、こればっかりは仕方ないですね。
能登の魅力は、海、山、畑。なんでも揃うこと
能登には、海のものも山のものも畑のもの、なんでも揃っています。
私の出身は外浦。富来(とぎ)というところですが、船員さんが多くて、外の文化がよく入ってくるところでした。子どものころ、当時あまり知られていなかったチーズやらバターやらコーヒーもありましたよ。
▶シロシル能登 「富来」をシル
七尾は金沢より古くて歴史や文化のあるまちだから、どなたもみな誇りをもって暮らしているように感じています。
七尾に嫁いできてずいぶん経ちますから、今は大好きな場所になりました。
たくさんの人に支えられ、応援され、感謝の尽きない日々

花嫁のれん館の館長をしていた主人は、地震後、お客様と一緒にすぐ近くに避難しておりました。私たち家族も一旦避難しましたが、自宅に戻ることができたんですよ。
炊き出しやボランティアさんのお弁当、飲料水をいただいていましたし、電気とプロパンガスは使えましたから、家で生活することができたんですよ。電気が来ていたから寒くなかったし。水道は出ませんでしたけど、井戸があったので洗濯もできたし、トイレも流せました。
醤油づくりのための道具は震災で壊れてしまったので、買い替えました。原材料は手に入らなくなるかと思ったけれど、今でも大豆は珠洲市(すずし)、小麦は中能登町で作ってくれています。蔵や室(むろ)も壊れてしまいましたが、新しくした分、仕事はしやすくなりましたね。
地震は起きてしまったけれど、本当にたくさんの方に支えられ、応援していただいて、感謝が尽きない毎日ですね。
震災をきっかけに家族で話し合った鳥居醤油のこれから


実は地震後、主人が脳梗塞で倒れたのをきっかけに、これからどうするかを子どもたちと話し合ったんです。
そうしたら息子は「オーナーになる」、娘は「5年間がんばってほしい。その間、習いに来る。冬場は手伝いに来るから」と言ってくれました。
「醤油屋があったから自分たちは好きなことができた」。
子どもたちは、そんなふうに思っていてくれていたようです。
だから、これからのことは息子が考えていくと思います。
これまでは暗黙の了解のようなところがあったけれど、震災をきっかけに話し合えてよかったかなと思います。こういうことがなかったら、なかなか話さなかったかもしれません。
息子も娘も、小さいころから醤油作りを見ているので、感覚としてはわかると思います。でも習ったからってすぐにできるようなものではないですけれど。娘は、この週末も職人さんに習いに来る予定です。
取材後記
取材の日、鳥居正子さんは醤油の仕込み作業の真っ最中。仕事の手を止めることなく、質問に答えてくれました。ご主人の病気や息子さん、娘さんとの話し合い。「醤油屋があったから自分たちは好きなことができた」という娘さんの言葉は、「もうダメやと思った」と言いながら、被害の大きさではなく、「たくさんの人に支えてもらった」という鳥居さんの感謝の言葉に重なりました。建物は新しくなっても、その場所で変わらず醤油を仕込み続ける。それを離れた場所から見守る家族がいる。鳥居醤油の未来は、そんな日々の積み重ねの先にあると確信しました。





