2016年、横浜市から穴水町へ移住し、旧兜(かぶと)中学校跡地の施設を活用した農家民宿“兜ガーデンファーム”を始めた小栗伸幸(おぐり のぶゆき)さん。大手生命保険会社で定年まで働いたあと、「定年のない事業主になりたい」と選んだのは、能登での新しい暮らしだった。
移住後、思いがけず飼うことになったヤギは、今では宿の象徴だ。令和6年能登半島地震では、避難所生活を送る子どもたちにヤギとのふれあいの場を提供して話題になった。移住から10年。小栗さんがめざす地域の未来とは何か? 広い敷地を我が者顔で駆け回るヤギたちを横目に話を聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
取材:2026年3月19日
セカンドライフじゃなくて「アナザーライフ」

穴水町に移住してきたのが2016年1月、この物件を見つけたのはその年の7月です。8月から改修を始め、翌2017年5月に「兜ガーデンファーム」を正式オープンしました。そろそろ10年が経ちますね。
定年が近くなったとき、これからは定年も契約更新もない事業主になろうと思ったんです。もちろんサラリーマン時代の経験・人脈を活かす方法もあったと思うんです。米国での不動産投資の経験やFP(ファイナンシャルプランナー)・中小企業診断士の資格ももっており、おそらくそういう分野なら事業を始めても、どこかへ勤めても楽だったでしょうね。
でも、それじゃおもしろくない。僕は「セカンドライフじゃなくてアナザーライフ」って言っているんですけど、「もうひとつの人生」ですね。健康寿命はまだ10年以上ある。この10年で今までできなかったことをやりたい。だったら自分で決めてやるしかない、契約更新もない事業主になろう、農業をやろうと決めたんです。
能美市(のみし)生まれの妻は、今も横浜に住んでいます。歩いて行ける範囲にスーパーや病院がある便利な場所です。妻は能登の不便さも知っていますから「なぜわざわざそんな不便なところに行きたいの?」とあきれていました。その結果、単身で移住することにしたんです。
息子はここで暮らしています。コロナ禍で、戒厳令さながらの閉塞感があった東京からふらっとやってきたまま住み着いちゃいました。いわゆるコロナ難民ですね。「コロナが落ち着いたら帰る」って言ってたんですけどね(笑)
能登との出会いは移住ツアー

実はサラリーマン時代、最初の転勤先が金沢支社で金沢に2年間住んでいた時期がありました。七尾市や加賀市にもよく行っていたし、結婚したのも金沢支社でしたから、もともと石川県には馴染みがありました。それもあって、移住先のひとつに石川県も考えてみようと思い、移住ツアーに参加したんです。
移住ツアーで穴水に来たとき、閉校となった旧兜小学校にある「かあさんの学校食堂」で昼ごはんを食べているんです。そのときに「お米がおいしいですね」「いいとこですね」なんて会話をしたおかあさんたちとは今も付き合いがあります。
その帰り、バスの一番後ろの席に座って窓の外を眺めていたら、緑色の東屋の屋根が見えて、「あれはなんだろう?」って思ったんです。自宅に戻って地図を確認したところ、この場所でした。だから、「どうしてここ?」と聞かれたときは、「運命です」って答えています(笑)
運命の出会いから始まった宿泊業
最初からこの物件にしようと決めていたわけじゃないんです。穴水町の別の地域にいい物件があって見学に行ったのですが、その様子を見ていた近所の人たちに「ここで民宿を始められたら、自分たちが飲む水がなくなってしまう」と、猛反対を受けたんです。その地域の水は簡易水道と呼ばれる施設でまかなわれていて、給水能力に限界があるからだと後から聞きました。結局、紹介してくれたはずの役場からも「あきらめてくれ」と言われ、白紙になってしまったんです。
結局、それがこの場所との運命の出合いにつながりました。
現在、兜ガーデンファームがあるこの場所は、もともと旧兜中学の敷地でした。1980(昭和55)年に閉校になったあとは、動物や植物について学ぶ専門学校の実習施設として使われていました。一度に最大50人は泊まれるつくりでした。
余談になりますが、ちなみに宿名にある「兜(かぶと)」は、この地域の旧地名に由来しています。この地域はもともと兜村(かぶとむら)と呼ばれていた地域で昭和29(1954)年に穴水町へ合併されました。
「ヤギは簡単だ」にだまされた!?

この場所を購入することが決まって、『さて農家として何をやろうか?』と考えていたときに、ヤギを飼っている人からの「ヤギは簡単だよ」と声をかけられました。「農家民宿のキラーコンテンツになるかもしれない」と軽い気持ちで飼い始めました。考えてみれば、僕、犬も猫も飼ったことなかったんですけどね。
引っ越した直後だったので、「もう少ししてから」とお願いしたら、「春先に生まれた子ヤギを業者さんが来週引き取りに来るから。今のうちに持ってけ」って(笑) 結局、4頭のヤギをもらいました。
当時は役場の仕事も手伝っていたので、朝6時から草を刈って、8時過ぎには出勤するような生活でした。さすがにその生活を1年続けたら20キロ痩せちゃいました。
そんなある日、役場の仕事から帰ってくると、ヤギ小屋から、聞き慣れない鳴き声がするんです。扉を開けたらちっちゃいヤギが2頭、生まれちゃっていました。そのあともまた生まれて……。実はメス4頭のうち3頭が妊娠していたらしい。聞いてないですよ。そんなこんなで4頭だったはずのヤギはあっという間に9頭になりました。
近所の人たちの間で「ヤギをいっぱい飼ってるぞ」ってなって、保健所が見にきたなんてこともありました。そりゃそうですよね。僕だってびっくりしてたんだから(笑) 正直なところ、今も「なんでここでヤギを飼っているんだろう」って、ときどき僕自身も思ってますよ(笑)
今いるヤギは5頭です。毎年春に子ヤギが生まれると、宿泊されるお客さまに子ヤギとのふれ合い体験を楽しんでもらったり、ヤギのミルクを朝食のときにお出ししたり、ヤギミルクの自家製チーズを作って、そのチーズを使った手作りのチーズケーキを夕食のデザートにお出ししています。
宿泊客の食事は近所のおかあさんたちに手伝ってもらっています。このあたりで採れた
山菜を使った料理が多いですね。
狭い避難所の子どもたちにできること

震災のとき、すぐ隣の旧兜小学校の体育館が臨時の避難所になったんです。臨時なのでなんの準備もないんです。地震が起きたのが1月1日だったので、ふだんはほとんどいないような子どもたちが大勢いるわけですよ。その子たちが、じいちゃん、ばあちゃんたちと一緒に体育館に避難していて、一番多いときには総勢350人くらいの人が避難していました。
僕のところは準半壊、被害は比較的軽微だったので在宅避難ができました。震災後ほどなくして体育館に行ったら、小さい子が泣いていて、周りに気をつかっているのかお母さんは外へ出るんです。「小さい子があんな環境に1日中いたらたまらんやろうな」と思って、「ヤギがいます。遊びに来てください」というポスターを掲示してもらいました。
ポスターを見たり、気晴らしの散歩の途中だったり、少しずつ子どもたちが来てくれてヤギたちと遊んでくれるようになりました。避難所で子どもが飽きちゃうと、おかあさんが「ヤギを見に行こう」って連れ出す場面もありました。
ちょうどそのころに7頭の子ヤギが生まれたので、遊びに来た子どもたちに名付け親になってもらいました。今もムギちゃん・ミナちゃんの2頭がいます。うれしいことに雪の日に小さな雪だるまを作って、「ヤギの雪だるま」と言って柵の上に並べてくれました。子どもはやっぱりかわいいですね。
人が集まるカフェをつくりたい

穴水に移住してきて、ヤギ小屋を作って物置が空いたときから、物置を改装してカフェをやりたいと思っていました。ただ、この辺は人口減少・超高齢化地域ですから、普通にカフェをやったって採算が取れるはずはないから無理かなと、ずっと思っていました。
それが今回の震災で、元々飲食店が少ない地域であったのが、まったくなくなってしまった。だから、地域の人が気軽に寄ってコーヒーを飲んだり、軽い食事がとれたりするような場所を提供したいと思ったんです。
とはいえ、地域の人だけを相手にしていたのでは、経営の持続可能性はゼロに近いと思わざるをえず、悩みました。
そんなときに石川県が復興支援策のひとつとして、能登半島の海沿いを自転車で周遊する能登半島絶景街道というサイクリングルートを整備するという話が出てきました。当ファームの前を走る県道34号線がこの絶景街道で、コロナ禍以前からインバウンドのサイクリストさんをよく見かけていたので、国内外問わず、サイクリストさんに利用してもらえれば、地域の人との交流の場としての利用も可能となり、経営の持続可能性が高まりますよね。
「トイレがあります」「休憩できます」「自転車が停められ、簡単な修理ができます」と打ち出せば、大勢のかたの利用が見込めるのではと考えたんです。それを論拠に、石川県のチャレンジ支援補助金を申請したところ、採択を受けることができました。じゃ、「やるっきゃない」ってことで(笑)
消滅集落にしたくない
穴水のこの場所、兜地区に移住してきて思ったのは、地域の人は、当たり前すぎてその素晴らしさに気づいていないということなんです。棚田の景観やきれいな朝焼けなどを見るだけでも、1泊2日じゃもったいない。2泊3日、3泊4日でゆっくり過ごす価値があるはずです。
カフェの一画にお年寄りが作った野菜を並べて、小さな直売所なんかもできたらいいなと思っています。少しでもお小遣いになったらいいし、生きがいになれば長生きできるかもしれないしね。
震災で加速した部分もあると思いますが、このままいくとこの地域は、10年後、20年後には、消滅集落になるんじゃないかという危機感をもっています。
移住してきたのは本当に私の都合。でも、今度は地域の人たちに恩返しをしたいんです。だからこそ、地域の良さを少しでも知ってもらえるように、中、外、関わらずたくさんの人が集まれる場所をつくっていきたいと思っています。
取材後記
「セカンドライフではなくアナザーライフ」。小栗さんが何気なく口にしたこの言葉がとても印象に残っています。定年後の生活は、「余生」や「第二の人生」という言葉で語られがちです。しかし小栗さんは、これまでの人生の続きではなく、まったく新しい人生を選択しました。移住はもちろん、農家民宿、ヤギの飼育、そしてカフェ。どれも以前の仕事とはまったく違います。「身体はしんどい」と言いながら、72歳になった今も目を輝かせながら次の夢を語る小栗さんはとても魅力的です。
取材中、ヤギたちは時折こちらの様子をうかがうように近づいてきます。小栗さんは目を細めてその姿を見ながら、「なんでこんなところでヤギを飼っているんだろうって、僕自身が一番不思議に思っていますよ」とクスッと笑いました。自分のために始めた移住生活は、いつの間にか地域の子どもたちや住民、そして旅人たちが集まる場所になっているようです。




