能登町の県道35号線を宇出津(うしつ)方面から北上し、「イカキング」(イカの駅つくモール)の横を通り過ぎて大きくカーブする坂道を下ると、“PEACE(ピース) ライダーズマリンベース”の看板が見えてきます。
ライダー、つまりバイク乗りたちが集う海辺の宿として10年前に開業。令和6年能登半島地震では奇跡的に大きな被害を免れ、地震発生4日目から風呂を沸かして無料開放するなど、いち早く地域の支援拠点となりました。
「体はボロボロ」と言いながら、いつも元気いっぱいに人を出迎えるオーナーの大場小都美(おおば・さとみ)さんに、「本当の復興」へと走り続ける思いを聞きました。
[取材・構成 関口威人]
子どもたちに背中押され、「自分の店」開くため能登へ
私、大場小都美は金沢市出身で、料理人になりたいと思って10代で市内のホテルに就職。フレンチを中心に、いくつもの店で修行をしてきました。
料理のほかにもう一つ、興味があったのがオートバイです。バイクに乗る近所のお兄ちゃんたちや漫画で見た『ルパン三世』の峰 不二子にあこがれ、大きくなったらバイクに乗ると決心。社会人になって趣味でバイクを乗り回し、能登の海にもよく行きました。
しかし、料理人としていつか自分の店を持ちたいと思いながら目の前の仕事に追われていた時期、夫と離婚して大きな借金を抱えてしまいました。当時まだ小さな3人の子どもがいて、「この子たちを不幸にできない」と朝から晩まで働き、借金を返済するのに10年かかりました。
返済が終わったものの、すぐには自分の店は持てないので、あこがれだったハーレーダビッドソンを「自分へのごほうび」として買いました。すると、一人前になった3人の子どもたちから、こう言われました。「本当は自分の店を持ちたかったんだよね。やりたいことやりなよ」
そんな子どもたちに背中を押され、自分の店を出そうと最初は海外への移住なども考えました。でも、買ったばかりのハーレーで金沢から能登半島を一周してみると、あらためて能登の海の美しさと自然の豊かさに魅了されました。
一方で気になったのは、能登にはバイク乗りにちょうどいい宿泊先がなかったこと。半島の先端にライダーズハウスがあれば……。それから3年がかりで場所を探し、たどり着いたのが今の物件なんです。

手づくりの料理とユニークな体験で人気の宿に
もともとは昔ながらの民宿で、食堂はスナック風でした。それを「オールドアメリカン」な雰囲気に変え、カフェと風呂と3つの宿泊部屋(ドミトリー)がある施設に改装。「まるで故郷に帰ってきたように安らげる、ライダーたちの基地でありたい」という思いから“PEACE ライダーズマリンベース”と名付け、2016年8月にオープンさせました。
料理は私の手づくりで、自慢の「とろとろ玉子のハヤシオムライス」「とろとろ玉子のシーフードオムライス」をはじめ、パスタやピザに能登の食材をふんだんに使っています。能登の海洋深層水でいれたこだわりのコーヒーも好評です。バーベキューやキャンプ、ドラム缶風呂やテントサウナなど、バイク乗りを満足させる宿泊体験ができるようにして1年目から約2,000人、2年目には約3,000人が泊まりにきてくれるようになりました。


地震の被害は免れ、自衛隊よりも早く風呂を提供
そんな経営の慌ただしさを忘れ、正月は金沢のホテルで家族と一緒にのんびりしようと車で能登町を離れた2024年の1月1日。七尾市を過ぎたあたりで、あの地震を経験しました。
車が飛び跳ねるような揺れでしたが、私や子ども、孫たちにも怪我はありませんでした。ただ、愛猫3匹を残した宿が心配になり、能登町へ引き返そうとUターン。しかし道路はどのルートも通行ができません。結局その日の夜は金沢で過ごし、翌日に7時間ほどをかけて能登町へ。猫も宿の建物も無事でしたが、カフェの食器やお酒のボトルは床に落ちてガチャガチャになっていました。
それでも、この地区はなぜか電気とガスが使えました。断水はしていたものの、宿の風呂はもともと湧き水を電動ポンプで汲み上げていたので、ろ過装置を通してガスボイラーで湯を沸かせました。「みんなお風呂に入りたいはず」と思い、1月4日から宿の風呂を地域の人に無料開放することに。あとで知りましたが、自衛隊が能登町内に仮設風呂を設置したのはその5日後のこと。私は思いついたらすぐやるので、早かったんです。
最初は地域の人たちが少しずつ入浴に来るぐらいでしたが、だんだんと口コミで広まって、1週間後には3〜4時間待ちになるほど。その間、バイク仲間たちは続々と支援物資を届けに来てくれました。地域の人は風呂を待っている間に支援物資を選んだり、ほかの被災者の方と情報交換できたり。私はここを単なる支援拠点ではなく、「元気発信基地」にすると決めました。それが、外から来た私を受け入れてくれたこの地域の人たちに対する恩返しのつもりでした。


ペット避難の「わんにゃんハウス」建設に奔走
断水は2月には解消し、カフェの営業を再開。お風呂の無料開放は3月まで続けましたが、徐々に一般の人たちも受け入れるようになりました。
そのころ同時に取り組んだのは、ペットの問題です。私自身も愛猫と暮らしていたので、被災したペットの飼い主の話をよく聞きました。すると、避難所にペットを入れられず、仕方なく車中泊をしている方が少なくありませんでした。また、地震によって犬や猫もストレスを感じたり、筋力や体力が落ちてしまったりしていました。最悪の場合、それらが原因で命を落としてしまうペットたちも。そこで役場に「ペットと暮らせるような避難所をつくってほしい」と要望しましたが、なかなかうまくいきませんでした。
なんとかしたいと仲間たちに相談すると、能登各地で「インスタントハウス」を設置していた名古屋工業大学の北川啓介(きたがわ・けいすけ)教授とつながりました。私の話を聞いた北川教授はすぐに動いてくれて、2月下旬にはインスタントハウス10棟が宿の隣に建てられました。その中をペットと暮らせるように改装し、「わんにゃんハウス」としてペット連れの避難者に開放。5月には県内外のボランティア仲間と「奥能登わんにゃんサポート」という団体を立ち上げ、ペットの一時預かりやペット用支援物資の提供を行い、その後は地域猫の不妊・去勢手術などにも活動を広げました。

手術も経た震災3年目、地域のよさをさらに発信
そんな活動と店の営業で24時間、動き続けていたら、さすがに一年で体が悲鳴を上げてしまいました。足の付け根や肩が痛くて歩けなかったり、手を上げられなかったり。そこで震災2年目はちゃんと閉店時間を決め、定休日も増やして自分の体のメンテナンスに当てました。それでも股関節の痛みは治らないので、3年目の今年、人工股関節を入れる手術をしました。おかげで痛みはほとんどなくなりましたが、今は週3日のリハビリに通っています。ちゃんと完治させ、今年が自分にとって本当の復興の年だと思って働くことにしています。
なんでそこまでするのか、みんなに不思議がられます。私としては「ここのよさを知ってもらいたい」という思いがあるからです。県道35号線はリアス式海岸に沿って、くねくねでアップダウンの多い道。バイク乗りにとっては、めちゃくちゃ面白い道です。
そして、ここから眺める海と立山。こんなにきれいなところは世界中を探してもありません。10年経っても、いつも感動しています。能登の人は当たり前に見ている景色だけれど、その素晴らしさを地元の人が再認識して、もっと発信するべきです。そして、地域外の人にもっと来てもらって、若い人が仕事のできる街にしなければ。行政には何を言ってもダメだから、自分たちでやるしかありません。
今年は“PEACE”の開業10周年。8月1日には「10周年感謝祭」を企画しています。これまでお世話になった皆さんに、感謝の気持ちを込めて恩返しをする機会です。キッチンカーを5台呼んで堤防の横に並べて、飲み放題のバーベキュー。歌やダンスをはじめ、面白い出しものを募集中。日帰りでもOK。宿泊する方(部屋は先着順)はエンドレスで楽しんで! バイクで来るだけではなく、車でも自転車でも徒歩でも、みんなウェルカムやで!!

取材後記
大場さんに初めて取材させてもらったのは震災の年の2月上旬。風呂の提供にカフェの営業再開にとフル回転していた時期で、そのパワフルさに圧倒されました。
それから2年ぶりにお会いし、相変わらずお元気ではあったものの、1カ月後の手術を控えてやや不安を抱えている様子もありました。ただ、その手術が無事に済んだら「アメリカに行く」予定だと。「66歳でアメリカの『ルート66』をバイクで走る。その夢をかなえる!」と宣言していました。
その言葉通り、アメリカに渡られたタイミングで本稿のチェックをお願いしました。帰国後はさらにパワーアップして、10周年祭を大いに盛り上げることは間違いなさそうです。





