能登有数の祭典、能登町宇出津「あばれ祭」今年も7月3日金曜〜4日土曜に開催!
大松明の火の粉が舞い、街中をキリコが巡行し、神輿も火の中・川の中へ、神がお喜びになる大暴れの祭
今年も、能登半島地震・奥能登豪雨を乗り越えた能登町宇出津の街を、高さ7メートル、約40数本の奉燈(キリコ)が町をねり歩き、2基の神興を海や川、火の中に投げ込んであばれる男壮な海の祭典、「あばれ祭」が開催されます。
[トップ画像・写真提供:オープンジャパン]

シロシル能登では、「あばれ祭」の歴史や、能登町宇出津の人々とお祭りの在り方などについて、お祭りを催行する八坂神社奉賛会を始めとする皆さんにお話を伺った記事を公開しています。
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能登町宇出津「あばれ祭」開催概要
開催日:令和8年7月3日(金)・4日(土)
会場:能登町宇出津、八坂神社、宇出津港いやさか広場ほか
あばれ祭とは
八坂神社の祭神須佐之男命(すさのおのみこと)、通称牛頭天王に捧げる神聖な供え物「大松明」が火の粉を散らすなか、能登地方の夏から秋にかけて行われる祭で使用される大きな灯ろう型の行灯「キリコ」が街を巡行し、祭神が遷座された神輿を海の中や川の中、火の中に投げ込み、叩いたり、壊したりするなど大暴れすることが神さまにとっても喜ばしいものとされている。
※シロシル能登からのお知らせ:あばれ祭当日は、会場となる能登町宇出津を中心に多くの交通規制が実施されます。また宿泊施設の多くは事前予約で満室になっている可能性が高く、飲食店や街の各種店舗も通常営業とは異なる状況が多くなります。事前の準備・予約のない方、現地のお知り合いがいらっしゃらない方は、十分にお気をつけて行動・参加されるようご注意ください。
[記事更新:2026年7月2日 シロシル能登編集部]
コロナも震災も越えてきた──宇出津・あばれ祭を次の世代へつなぐために“宇出津八坂神社奉賛会”
能登町宇出津(うしつ)で350年以上続く「あばれ祭」。大松明の火の粉が飛び散るなかを神輿が進み、キリコがぶつかり合う。その激しさから「日本一荒々しい祭り」と紹介されることもある。しかし「あばれ祭」は、病を鎮めるために始まった祭りだという。コロナ禍で開催を迷い苦悩した日々。能登半島地震のあとも続けた理由。人口減少への不安。それでも祭りを続けようと奮闘する日々。そしていま、祭りを牽引するみなさんは、度重なる困難のなか、なんとかしてこの祭りを次の世代へつなごうと試行錯誤を繰り返している。祭りと共に生きる宇出津の人たちに話を聞いた。
[取材・構成 米谷美恵]
お話を聞かせてくださった皆さま
宇出津八坂神社奉賛会副会長:小浦 肇(おうら・はじめ)さん
宇出津八坂神社奉賛会事務局長:本谷順一(もとや・じゅんいち)さん
宇出津八坂神社奉賛会幹事:田代信夫(たしろ・のぶお)さん
宇出津八坂神社奉賛会会計:諸角浩司(もろかど・こうじ)さん
宇出津祭礼委員会委員長:小下修次(こした・しゅうじ)さん
コロナや震災、どんな困難があっても続いていく「あばれ祭」
本谷順一(以下本谷):
「あばれ祭」が始まったのは1664(寛文4)年。この町に流行った悪い病気を退散するために始まった神事だと伝えられています。宇出津八坂神社に祀られている神様は須佐之男命(すさのおのみこと・通称牛頭天王(ごずてんのう))と櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)です。
当時、町の肝煎(きもいり・世話役)の夢枕に、「病気を退散させるなら京都の祇園八坂神社に出向いて祈願せよ」というお告げがあったため、京都へ上って須佐之男命を迎え、神事をしたのが始まりといわれています。須佐之男命は荒々しいことが好きで、「暴れれば暴れるほど喜ばれる」と伝わっています。




実はこの祭りは祇園祭の流れのひとつといわれていますが、京都ではそんな荒々しいことはしていません(笑) ただ、日本各地の八坂信仰のなかには、荒々しい神事をする神社があばれ祭のほかにもいくつかあります。

小浦 肇(以下小浦):
「あばれ祭」は、単なるイベントではなく神様に対して行う祭りです。知らない人は「なんて扱いをするんや」と思うかもしれんけど、決して神様を粗末に扱うようなことはしない。そこだけは大事にしているからね。
小下修次(以下小下):
要するに1664年に疫病が流行し、その疫病を鎮めたのが京都の八坂神社から勧請した神様だった。町の人たちがキリコを担ぎ、太鼓を打ち鳴らして疫病が鎮まったことを喜んだ。それが由来。
だから、コロナや震災、どんな困難があってもこの祭りは続いてきた。今までの伝統を絶やさない。それが元気にも、勢いにもつながる。そういう祭りなんじゃないかなと思います。
マスクすら祭りにしてしまう。それが宇出津!

小浦:
コロナのときは、祭りはするべきではないという空気でしたね。
「イベントはやるな」「人を集めるな」。世の中全体がそういう状況でした。
小下:
能登は人口が少ないから、都会に比べて感染者は少なかったけど。
それでも、ワクチンを打ったり、マスクで予防したり。そういうことをしながらでも祭りはやりたいと思っていた。
諸角浩司(以下諸角):
コロナから3年目に祭りをやると決めたときも、「やみくもにやった」と思われるのは嫌だったから、コロナ禍当時にあった「あばれ祭運営改善協議会」で何度も話し合って、感染防止のための対策、ガイドラインづくりはしっかりしたね。
田代信夫(以下田代):
対応は町内ごと。うちの町内は家紋みたいなマークを入れてマスクを作りましたよ。みんながそのマスクをして担いだね。
諸角:
マスクすら祭りにしてしまう。それが宇出津なんですよ。
感染者が出て、2日目の朝に運行をやめた町内もあったけど、「自分たちのせいで祭りを止めるわけにはいかん」と言ってくれたしね。
小浦:
ほかの地区では、あの宇出津でさえ祭りをせんかったのに、ウチの地区で祭りなんかできるはずがないって話になる。祭りをやめる理由を探している人にとっては、いい理由になるしね。
諸角:
他の地区では、あの宇出津でさえ祭りをせんかっのに、ウチの地区で祭りなんかできるはずがないって話になる。祭りをやめる理由を探している人にとっては、いい理由になるしね。
本谷:
実際に、震災後「こんなときに祭りしていいんやろうかという罪悪感があった」という話を聞いたことがある。
諸角:
でも、宇出津で祭りをやってしまえば、他の地域も「やっていいんや」ってなる。いい意味でも悪い意味でもね。
人口が減っても祭りは残したい。そのために今、できることは?

小下:
実は、震災前から人口減少は続いていたけど、人口が減ったから祭りをやめるとはならなかった。祭りや文化はなんとか残していきたい。そのためにはどうするか。それが今後の課題だと思っています。
諸角:
住んどる人は、今がピークのような気がする。
10年くらい前から、「20年後、30年後はどうなるんやろう。今のキリコの本数を維持できるんかな?」。そんな話はしとったからね。
実際に人口の減少は、コロナと地震で一気に10年分ぐらい進んだような気がする。
今の形で祭りが存続できるかって言われたら、おそらくここ2、3年がピーク。あとは減っていくような気もしているけど、何とか持ちこたえたいと思っている。
小下:
人口がどんなに減ろうが、ここに住んどる人たちの気持ちは変わらんと思うんです。
「人口が減ったから祭りやめる」にはならん。やるために何をするか。そこが大事なんだよね。
諸角:
うちの町内は、去年までは家が15軒ほど残っとったけど、公費解体で今は7軒。昔から外部の方に来てもらって初めて祭りが成り立っとったような町内なんです。7軒でキリコを出すんやけど、60代を入れても全部で7人しかいない。実際に動かすには50人ほど必要だからよその人を頼るしかない。
でも実際には人が集まってくれる。金沢や東京へ出た人も、祭りになったら帰ってくるから、コンスタントに30人ぐらいはおるよ。結婚したら奥さんを連れてきて、そのうちに子どもが生まれる。そのうちに子どもも祭りにハマる。うちの町内には小学生はひとりもおらんはずなのに、祭りになると子どもがいっぱいおる(笑)
田代:
金沢に住んどるうちの孫も、毎年6月ぐらいから笛の練習を始める。ずっと家で練習しているらしい。去年は太鼓を叩いとったし、キリコにも乗っとった。

諸角:
それぞれの家庭で祭りの英才教育しとるんやろうね。
今までは宇出津の出身者や縁のある人が多かったけど、その人らも減ってきとる。それでも、何とか続けたい。そういう人たちの居場所を作ってあげたいと思っとる。
小浦:
家がなくなっても祭りしたいんやろうね。公費解体で家がなくなっても、祭りのときだけテント立てて泊まっとる人もおった。
田代:
自宅が解体されてなくなっても、その場所にシートを張って、仕出し弁当食べて酒飲んで、ほんならキリコ行く。そういう人もおったね。
諸角:
キャンピングカーで来とった人もおる。帰ってくる場所やからね。
祭りは全員が参加者という町のルール

諸角:
宇出津の祭りは、全員が参加者になる。
小学生には小学生の仕事が、中学生には中学生の仕事がある。高校生になったら若い衆としての仕事がある。そのうちに主力メンバーになる。女の人にはヨバレがある。そうやって、みんなに何かしら役割があるんだね。
旅館も、食堂も、スーパーをやっとってもみんな参加者やから、観光客は泊まるところも食べるところもない。
普通に考えたら、人がいっぱい来るんやから店を開けとけば儲かるやろ。でも祭りに参加したいから閉める。人が来るから商売しよう、とはあんまり考えとらん(笑)
田代:
それなのに、誰もが「祭り馬鹿」やと思われたくないから、祭りが好きだとは言いたくない(笑)

小浦:
でも嫌いやって言う人に限って、祭りになったら熱くなっとるわ。
諸角:
今は7月始まりのカウントダウンカレンダーも作っとるわ。

諸角:
観光で来て、「すごい祭りやね」でただ見て帰る人より、実際に参加してしんどい思いをした人ほどハマってまた来る。「こんな重労働させられて」なんて言いながら、次の年もまた来る。
小下:
取材で来たのをきっかけに、20年以上通っとる人もおる。見るだけじゃなくて、参加して初めて感じる感情かもしれんね。
毎年、息子の友達が3、4人、祭りのために県外から来る。大学時代から来とって今は40代だからもう10年以上になるね。町内の人もみな顔知っとるわ。

小浦:
火の下に入ったり、キリコを担いだり、そんな体験は他にないやろうから、カルチャーショックを感じるんやろうね。
小浦:
みんなで担いで、水や火の粉を浴びて、高揚する。もうアドレナリンどころの騒ぎじゃない。若いころは、神輿を担ぐと背中全体が水ぶくれになったもんだ。特に祭りの翌日はひどかったね。


田代:
金沢に住んでいるうちの孫は、祭りが終わったあと、「見て、じいちゃん。ここ火傷した」ってうれしそうに言うんですよ。
小浦:
祭りが終わった次の日には、みんながどれだけ危ない目に遭ったか、どれだけ大変やったかを自慢し合う。子どもらもそう。
田代:
自分らの子どものころは、「女はキリコに触るな」って、女人禁制みたいな時代やったけど、今は違う。最近は、太鼓を叩いとるのは女の子の方が多いくらいだね。

それぞれの町内で「祭り」を支える!

小浦:
あばれ祭は大きく括ればひとつだけど、実際には町内ごとの一大イベントともいえる祭り。だからTシャツも作れば手ぬぐいも作る。「あそこの町内が作った。じゃあうちも作ろう」って、負けとられんからね。
町内でしっかり祭りを支えとるから、仲間意識も強い。
小下:
祭礼委員は今16人。一番若くて55、56歳。今年もなんとか無事に終わらせたいと、鞭打ちながらがんばっとる。
田代:
ただ、ちょっと心配しとることもある。
祭りの日に帰ってくる人は確かに増えている。でも準備や片付けは、地元に残った人間がやらなければならない。これから町内の人数がもっと減ってきたときに、厳しくなるかなと思う。
諸角:
家がなくなったことも大きいね。以前は、おばあちゃんひとりの家でも、祭りになると息子さん家族が来た。孫も来た。みんな泊まれた。でもその家が地震の公費解体でなくなったから。
「寝る場所どうするんやろうな」「町内にテントでも張るか」って話をしとる。
小浦:
最近は、お助け隊みたいな人らも来るようになった。祭りの前日に来て、キリコを組み立てて、祭りが終わると片付けて帰る。寝るところも自分たちで用意する。こういう人らが継続してきてくれるとありがたいね。
子どもたちへ残したいものは?
小下:
自分らの役目は、子どもでも大人でも、祭りにハマるきっかけを作ることやと思っとる。それが課題であり役目かなと思う。
諸角:
学校の授業でも地域の伝統文化を学ぶ時間があるね。学校の社会科の授業にゲストティーチャーとして呼ばれてあばれ祭について話すこともある。
保育園でもお祭りごっこ行事やっとるけど、宇出津だけじゃなく、近隣の地区の子どもも一緒。宇出津だけじゃなくて、町全体の保育園や小学校で英才教育が始まっとる気がする。

小下:
宇出津出身の我々は、保育所のころからずっと祭りのなかで育ってきた。太鼓や囃子、掛け声、キリコに囲まれて育ってきた、あばれ祭のエリートなんです(笑)。
田代:
僕らが子どものころは、祭りが終わった次の日からみんなカウントダウンを始めた。1日ずつ減らしながら次の1年が続いていくんです。教室の机でも、後ろの黒板でもカウントダウンしていた。
諸角:
祭りは、自然と続いてきたことやけど、今の時代に応じた形を考えんといかん。これからはもう少し全体を見ながら、どういう方向へ行くのか、どんな形がいいのか、そんなことを考えていかんとダメやなと思っとる。
祭りが人をつなぐ──宇出津で暮らし続ける理由

小浦:
若いころは祭りそのものが生活やった。高校卒業して東京の専門学校へ行ったけど、祭りに帰ってこられる仕事を探して地元に就職した。祭りを楽しむためだけに生活しとったようなもんや。
歳を重ねてきた今は、祭りをどう続けるかどう守るかを考える立場になってきたね。
小浦:
この町の祭りは誇りだし、どこかで生きがいにもなっとるんだろうね。コロナで2年休んだとき、心に穴が空いたような気持ちになって抜け殻のような気持ちになった。
小下:
この町で育ったからなのか、人生のなかには必ず祭りがあった。
田代:
なんで宇出津に住んどるんやろうな。祭りを中心に生きてきたんかなって気もする。
外から来た人に「宇出津って変な町やね」って、よく言われる。ヨバレに、知らない人でも「こんにちは」「こんばんは」って言いながら入ってきて、一緒に飲んどる。そういう町なんやと思います。
きっと祭りが人と人をつないどるんやろうね。
取材後記
祭りの話を誰かが話し始めると、別の誰かが補足する。笑いが起きる。
「違う、違う」と訂正が入る。また別の人が続ける。そんなやり取りが何度も繰り返されました。
人口減少や震災の話になると、みなさんの表情は少し硬くなりました。どうしたらいいか? 何ができるか? 真剣に議論されています。それでも……、いつの間にか、必ず祭りの話題へ戻っていきます。
「お祭りが好きですか?」と聞くと、みなさん、どこか照れくさそうに「祭り馬鹿と思われたくない」と少しはにかんだような表情を浮かべます。
そして、小学生のころ、机に祭りの日までのカウントダウンを書いていたかつての小学生たちは、今はお子さんやお孫さんたちが祭りに熱中する様子を、どこか誇らしそうに話します。
祭り以外の話に振っても、気づけばまた祭りの話に戻っていました。長く宇出津に住み、祭りを中心に暮らしてきたみなさんは、昔も今も、寝ても覚めても祭りのことを考えているようです。





