石川県輪島市の西部に位置する七浦(しつら)地区。そこは、2024年元旦の能登半島地震で最も大きく隆起した猿山岬のすぐ近くです。当然、甚大な被害があったのですが、震災後間もなくの2月、震災後の地域が再起し、未来へとつなぐことを目的に、任意団体“七浦地区再生会議”を立ち上げました。さらに、国や自治体からの補助金・助成金を円滑に受け入れ、実務的な基盤を強固にするために、同年末には一般社団法人志津良の荘(しつらのしょう)を設立しました。
この取材には、七浦地区再生会議代表の升本庄五郎(ますもと・しょうごろう)さん、副代表の斯波安夫(しば・やすお)さん、役員の船津由香(ふなつ・ゆか)さんの3人と、その活動を学術的に支えていらっしゃる富山大学学術研究部都市デザイン学系准教授の安江健一(やすえ・けんいち)さんも参加してくださって、地域の方たちのつながりの密接さを強く感じました。
彼らの前向きな活動を、お伝えします。
[取材・構成 柳澤美樹子]
人の結びつきの強い七浦から、能登の未来に向けた構想
大地震による地形変化をジオパークに!
かつてこの地は「志津良」と呼ばれていました。私たちは、その古名に誇りと愛着を込め、12名のメンバーと、地域の未来をともに考える研究者や学生たちと一体となって復興活動を進めています。
私たちの活動の原点は、2024年の能登半島地震によって最大5.5メートル以上も隆起した海岸線にあります。

「こんな一瞬にして隆起した海岸線は、世界に類例がない。これを世界に発信しよう」
メンバーのそんな強い一言から、大地のダイナミズムを伝える「ジオパーク構想」が動き出しました。
地震の直後、水が一気に引き、「一体どこへ水が消えたのか、どれほど大きな津波が来るのか」と恐怖に震えたその背景に、まさか地面そのものが持ち上がっているとは誰も想像していませんでした。しかし、震災前から珠洲や輪島で地質調査を続けていた富山大学で地震地質学を研究している安江健一先生らとの偶然の出会いもあり、この地殻変動が過去の地球の歴史を紐解く、ど真ん中の学術的価値を持つ資源であることがわかってきたのです。

ユネスコの認定審査の厳しさなども指摘されましたが、ただ隆起した地形を見せるだけではなく、「大地の成り立ち」と「人々の暮らし・文化」をジオストーリーとして紡ぐことができれば、これまでにない観光誘致や環境保全の動機付けになると確信しています。私たちは七浦の一地域にこだわらず、「能登半島全体がジオパークになればいい」という広い視野を持ち、財政基盤を確保しながら、県や大学を巻き込んだ大きなうねりにしていきたいと考えています。

帰省者と関係人口の受け皿に、「皆の宿」を開業
大きな未来を描く一方で、いま目の前にある切実な課題にも着手しています。それが、被災家屋を活用した宿泊施設「皆の宿(みなのやど)」です。
能登半島全体で多くの宿泊施設が営業困難となり、圧倒的な宿不足が続いています。そのため、お祭りや墓参りで「地元に帰りたくても泊まる場所がない」という深刻な問題が起きています。七浦でも建物が公費解体され、向こう三軒両隣がすべて空き地になって草が生い茂るような寂しい光景が広がっています。2026年6月現在、再建の見通しが立たない家がほとんどで、このままでは地域の記憶もコミュニティも消滅してしまいかねません。

「自分が何もせずにほっといたら、死ぬ前に七浦が消滅する。それは絶対にダメだ」
そんな強い思いをもった地元の有志やUターンメンバーが中心となり、まずは帰省する人々や、復興に関わってくれる関係人口の受け皿となる場所として、もともと民宿だった建物を自分たちで改修し、「皆の宿」として2026年5月15日に開業することができました。
将来的には、一軒家を丸ごと貸し出す「一棟貸しタイプ」の展開も視野に入れ、隆起海岸を見に来る観光客の皆さんも温かく迎え入れられる場所にしていきたいと考えています。珠洲にある「日置(ひき)ハウス」や「木ノ浦ビレッジ」のようにカジュアルに泊まれる拠点をこの七浦にもつくり、地域の人もここを訪れた人も自然に交流していけるような場にしていきます。

目指せ! 能登の自給率100%
七浦地区が抱える課題は、震災とその後の水害によって一気に深刻化しました。震災前に約400人だった人口は200人を切り、仮設住宅を含めても現在は約130世帯。地域の小中学校はすでに廃校となっていて、いま地区内に住むのは中学生と高校生それぞれ一人だけです。
人の気配が減ったことで、山からはイノシシが里へと縄張りを広げて歩き回り、かつて鹿牧場から逃げ出した鹿も大繁殖して植物を食べ尽くしています。さらに、手入れされなくなって樹齢60年を超えた杉林は豪雨や強風で根から倒れ、土砂災害のリスクを高めています。
しかし、私たちはここで諦めるつもりはありません。私たちが描く将来のビジョン、それは「食と農業、そして一次産業」を核とした、たくましく持続可能な地域づくりです。
「農林業センサス」によると、石川県でも2000年に約3万2000人いた基幹的農業従事者が2015年には既に約1万7000人と半減しています。日本の食料自給率38%という現状に対しても、強い危機感があります。
荒れ放題になった耕作放棄地をもう一度耕し、能登の一次産業全体を盛り上げていくつもりです。
また、夏には皆月湾(みなづきわん)を拠点に、海から隆起した素晴らしい景色の中での「カヤック体験」や、農業体験を通じて、都市部の人が「何度も足を運んでくれる関係人口」の仕組みを構築していきます。
祭りに息づく、先人の知恵とコミュニティの絆
私たちがここまでして地域を守りたい理由。それは、この地には祭りを核とした豊かな伝統文化とコミュニティが息づいているからです。
人手不足により一時は祭りの中止も検討されました。しかし「一度やめてしまえば、二度と再開することはできない」という強い思いから、期間を短縮するなどの工夫をしてつないできました。
祭りは、ただ人が集まる賑やかな行事というものではありません。準備の過程で子どもたちは、綱をなう「綱打ち」や山車の組み立てを通じてカラムシという植物の利用法、道幅の狭い地域特性に合わせて車輪が内側についている山車の構造、年長者を敬う心など、多くのことを口伝で学んでいきます。また、都会に出た若者たちも一斉に帰省して、世代を超えた交流が生まれます。祭りに使われる藁や木材を田んぼや山から得ることで、地域の自然環境(里山里海)を維持するサイクルにもなっているのです。
震災のあと、お互いの顔が見える13の区が連携し、行政の動きをただ待つのではなく、公民館をベースにして物資を配り合い、声を掛け合ってきた七浦の強い絆も、祭りを象徴とした日常の温かい交流や先人の知恵を伝える土壌があるからこそのものです。地域再生の根幹は、そういうところにあるのではないでしょうか。

「七浦に帰ってくる」ようなお付き合いを
私たちは、この地をただ震災前の姿に戻すのではなく、新しい時代の持続可能な地域モデルとして再生させたいと願っています。外からの一時的なボランティアや提案だけで終わるのではなく、いっしょになって新しいものを生み出し、長く付き合っていける仲間を求めています。
「皆の宿」に泊まって、おいしいものを手にして
オープンした「皆の宿」を拠点に、能登へ何度も通ってくれる人を増やしたいと考えています。宿泊施設の運営、マーケティング、SNSなどでの情報発信が得意な方に力を貸していただけると、とても心強いです。
仕事ではなくとも、能登を旅するときには七浦にも足を向けて、「皆の宿」や近隣のお店などを利用してください。そして、地元の美味しいもの(いしりを使った料理や門前味噌、とり野菜みそなど)を購入してみなさんのお宅の食卓を豊かにしてください。

「食と農業」「体験プログラム」の仕組みづくりに参加して
都会で「畑をしたいけれどできない」という人たちを迎え入れる体験型農園の企画や、カヤックツアーのコーディネートなど、一次産業と観光を掛け合わせたプログラムをいっしょに企画・運営してくれる方を募集しています。将来的に能登で農業や一次産業に挑戦してみたいという熱い想いを持った方も大歓迎です。
放置林の課題解決、伝統技術や地域の記憶のアーカイブに関わって
手の入っていない杉林をどう活用していくか、林業や環境保全の視点から知恵を貸してくれる方を求めています。
また、震災によって「地震前の地域の写真や記録」が多く失われてしまいました。祭りの「綱打ち」や山車の構造といった、口伝で受け継がれてきた先人の知恵・技術、そして震災前後の地域の風景を、映像やテキスト、マップの中に記録・保存(アーカイブ)する活動をお手伝いいただける方も必要としています。
取材後記
七浦は、總持寺祖院のある門前の北側、国道249号から山道を越えていった先の、日本海に面した集落です。観光などで外から来る人が、「ついで」や「通りがかり」で訪れる位置ではないのですが、それだけに昔ながらの能登らしい暮らしや人間関係が引き継がれている地域だと感じました。
集まってくださったみなさんは、写真を見せながらお祭りのことを話し出すと止まりませんし、この一言一言の裏には自分たちのお祭りがほんとうに素晴らしいものだという誇りが見えました。
小さな集落からジオパークという発想が生まれるのも、こうした住民のつながりと誇りがあるからなのだと思います。宿泊施設も着々と整備して、この劇的な自然の力の体験を伝える重要な拠点になってほしいと願います。




